【コラム】ゲームのボリュームは多ければ多いほどいい?社会人ゲーマーの苦悩と葛藤

あすか

こんにちは、あすかです。

今日は珍しくコラムっぽい話。

「大ボリュームのゲームを前にしたとき、昔はワクワクしていたのに、今はむしろ気が滅入ってしまうのはなぜか?

そんな、ここ最近頭の片隅にあった疑問について、自己分析も兼ねて書いていきます。

きっかけは、ここ最近とにかくゲームに割ける時間が足りていないから。
二言目には「時間がない」と言い訳しながら面白そうなゲームをスルーし、しまいには、実際に面白いと思っているゲームですら積んでしまっている….。そんな状況が続いているからです。

なお、本記事では具体的なゲームタイトル名をいくつか挙げていますが、それらを批判する意図は一切ありません。
あくまで「自分の遊び方や感じ方の変化」について見つめ直すための例として登場してもらっています。

加えて、最初に大前提として言っておくと、これは完全に私個人の感想です。

ゲームメディアでもなんでもない、ただの一個人ゲーマーのチラシの裏の話なので、そのあたりを承知の上で、暇な人は読んでみてください。
(こうまで予防線を貼っておかないと、すぐ「それはおかしい、間違ってる」とか「歳とっただけだろ老害」みたいな心無い天使が現れるので)

シュバってきたらアルテマするからな

では、参りましょう。

昔は「ボリューム=正義」だった

一昔前の私は、「ゲームのボリュームなんてものはあればあるだけ良い」と思っていました。

具体的に言うと、『オブリビオン』や『Fallout 3』のようなオープンワールドゲームが流行り出した辺りから、遊ぼうと思えばいくらでも遊べるタイプのゲームが増えていきましたよね。

  • メインストーリーだけでも何十時間
  • 世界中に存在する膨大なサブクエスト
  • 寄り道すればするほどレベルも装備も強くなる

当時の私は、それがもうたまらなく好きでした。

あすか

まだまだ終わらない!
こんなところにもダンジョンが!!

と、いつまでも底の見えないゲーム体験にはテンションが上がりっぱなし。

そこから先は、「広ければ広いほどええんやろ!」と言わんばかりのノリで、ジャンルを問わず、さまざまなゲームで“オープンワールド”が売り文句になっていきます。(今でもその風潮はありますよね)

オープンワールドという仕組みそのものの良し悪しについて語り出すと、それだけで一本コラムが書けてしまうので今回は深入りせず、「とにかく昔は『長ければ長いほど正義』と思っていた自分がいた」という前提だけ共有しておきます。

ここからは、そんな私の価値観がどう変わっていったのか、「ゲームのボリューム」に絞って話していきましょう。

不満はないのに…

この記事を書こうと思ったきっかけは二つあって、その一つ目が『ゴーストオブヨウテイ』です。

圧倒的なグラフィックと作り込みで世界中から大絶賛。Xの相互さんたちも多くがプレイして盛り上がっていて、これは満を持して自分も輪に飛び込むしかない、と始めました。

正直序盤を触った時点では、めちゃくちゃワクワクしていました。

  • 風が草原をなでる感じのビジュアル
  • 実写と見まごうような圧倒的なグラフィック
  • 重みとキレを兼ね備えた迫力あるアクション

「これは絶対に時間溶けるやつだな」と、期待に胸を膨らませながら遊び始めたのを覚えています。

……が、その結果いまどうなっているかと言うと、積んでいます。

プレイ時間は10時間ほど。メイン進行で言うと、まだ蛇しか倒していない段階。

鬼のいるとこに来たぐらい

ここで強調しておきたいのが、ゲーム自体に対して不満はほぼないということです。

むしろ完成度は非常に高く、文句のつけようがないレベルだとすら思っています。

それでもなぜか、あるタイミングからコントローラーを握る手が重くなる瞬間が出てきました。

マップを見た瞬間に「うっ…」となるように

これは「オープンワールドあるある」でもありますが

  • 広大なマップがあり、
  • 序盤のスタート地点だけ霧が晴れていて
  • 進んだ分だけ霧が晴れたり、ロケーションがマッピングされる

そして全体マップを開いたとき、その圧倒的な広さに

あすか

マップ広すぎぃ!
やれること無限にある!!

とテンションぶち上がる経験、ありますよね。

昔の私は、まさにこの瞬間が大好きでした。ボリュームはあればあるほど良いと思っていたので、まるで「食べきれないご馳走」を目の前にしたかのようなはしゃぎっぷりです。

しかし、ヨウテイを遊んでいたある夜、マップを開いたときのこと。

画面いっぱいに広がる広大なフィールド。
行っていないエリアはまだまだあるのに、その時点ですでに

  • まだ踏んでいないロケーション
  • 解放されていない拠点の数々
  • これから増えるであろうサブ要素

など、ゲームの全体像がうっすらと想像できてしまったんですよね…。

それを想像したとき、私は

あすか

これ全部やるのか……?

と、ワクワクよりも物怖じする感覚の方が強かった。

別に全部回る必要もないのですが、そこに“ある”なら行きたくなるのがゲーマーじゃないですか。

実際には、クリアまでサブ要素を含めても50〜60時間程度らしいので、数字だけ見れば「とんでもない超ボリューム」というほどではないと思います。

ただ、今の自分にとっては、「このマップ構造でこのボリューム感」というだけで気持ちが萎えてしまうようになってしまいました。

“面白い・クオリティが高い” という評価と、“このボリュームを最後まで走り切れるか” という気持ちが、完全に別の問題になってしまっていて、ゲームに対する好き嫌いではなく、自分のリソース(時間と気力)の方が先に悲鳴を上げてしまった結果の積みです。

この体験で、薄々感じていた自分はもう“ボリューム=正義”ではないと、ハッキリ自覚することになります。

それだけ聞くと「それ、ただゲームへの熱量が落ちただけだよ」と思われそうですが、どうもそう単純な話ではない気がします。

理由その1:オープンワールドに慣れすぎた

一つ目の理由は、単純にオープンワールドに慣れすぎてしまったこと。

あまりにもこの形式のゲームを遊びすぎて、先の展開がある程度想像できるようになってしまいました。

  • こっちに行けば敵の拠点があって
  • あっちに行けばロケーションがあって
  • 何かしらのスキルポイントや素材が手に入る

といった構造が、だいたい頭の中でテンプレ化してしまっている。

これはライズオブローニン

熱量が落ちたというより、これまで遊んできたゲーム体験が蓄積されすぎていて、似た構造のゲーム同士を脳が「はいはい、このパターンね」と勝手に先回りしてしまう感じ。

これがRPGのようなストーリーラインに沿って遊ぶタイプだと、全体のボリューム感がそこまで把握できないことも多くて、「とりあえず目の前のイベントを追う」ことに集中しやすいんですよね。

でもオープンワールドになってくると、全体構造がかなり早い段階で見えてしまう
その結果、「なんとなくの総プレイ時間」が予想できてしまい、そこで一気にやる気が萎んでしまう。

これが、ボリュームに萎えるようになってしまった理由の一つ目です。

あすか

色々なゲームを遊ぶほど“新鮮な体験”が得られなくなっていくジレンマ….。

理由その2:インディーゲーム全盛で「時間の価値」が変わった

二つ目は、昔と比べて面白いゲームが圧倒的に増えたこと。

インディーゲームというジャンルが爆発的に盛り上がり、いまや毎日のように何百本もの新作がリリースされている、「世はまさにゲーム黄金時代」。

そこに加えてAIもどんどん発達してきていて、この流れは今後さらに加速していくだろうな、という予感もあります。

今年遊んだ「ミサイド」も短い時間でとても記憶に残ってます

そんな中で、5〜10時間程度でクリアできるインディー作品でも、めちゃくちゃ心に刺さったり、ぐっと感動させられたりと、プレイ時間に関係なくしっかり満足感を得られるタイトルが本当に多い。

そうなってくると、「1本のゲームに100時間かける価値はあるのか?」という問題が、どうしても頭をよぎるようになりました。

可処分時間80時間のゲーマー目線で考えてみる

具体的な話をすると、私のゲーム時間のメインは
子どもが寝たあと 21:30 過ぎから自分が布団に入る 23:30 頃までの約2時間です。(寝落ちすることも多々あるが)

ざっくり計算すると、1ヶ月で60時間

実際には、休日の子どものお昼寝中や通勤のバスなどでもう少し増えて、多めに見積もっても月80時間くらいが限界かな、というところ。

この「月80時間」という可処分ゲーム時間を、どう配分するかと考えたとき

  • 10時間でクリアできるゲームなら、8本分遊べる
  • 100時間かかる大作だと、1ヶ月フルで向き合っても終わらない

……..

あすか

こうやって数字にすると、けっこうインパクトありませんか?

タイパという言葉は正直あまり好きではないのですが、それでも「短時間で強い体験が得られるゲーム」のタイパが良いのは事実だと思います。

オクトパストラベラー0

最初に「きっかけは二つある」と書きましたが、もう一つが『オクトパストラベラー0』です。
これもすごく盛り上がっていますよね。

私自身、オクトラ2が大好きで(1は途中で積んでしまったのですが)、0にもかなり期待していました。

…が、発売前のインタビューで

「普通にストーリーを進めるだけでもクリアに100時間程度かかる」

という文言を見て、完全に腰が引けてしまいました。

ここまで読んできた人ならわかると思うのですが、
さっきの「可処分時間」の話とガッツリ直撃してしまったんですよね。

もし事前にボリューム感の情報がなければ、たぶん私は普通に購入して、「気づいたらもう50〜60時間遊んでる!おもろすぎ!!」みたいになっていた可能性は全然あったと思います。

ですが「100時間かかります」と宣言された瞬間に、「一ヶ月間このゲームだけに向き合うのか…?」脳が警戒アラートを発令してしまう。

「ハマった結果100時間」は至高の体験

ここまで書いておいてなんですが、
「ハマった結果、気づいたら100時間遊んでいた」という状況は、むしろ大歓迎なんですよ。

今年で言えば『ナイトレイン』なんかはまさにそのパターンで、「ちょこっと触るつもりが、気づいたら100時間経っていた」みたいな、ある意味で理想的なゲーム体験でした。

時間の経過を忘れるほど夢中になれるゲームって、本当に貴重ですしね。

一方で、最初から

「クリアまで100時間かかります!」

と宣言されているゲームに手を出すのは、現代のゲーマーにとってはかなりハードルが高いように感じました。

この娯楽あふれる現代において、可処分時間の負担があまりにも重すぎるんですよ。

いまの私にとってはマイナスの売り文句

というわけで、現時点の私にとって

「ボリュームたっぷり!」
「広大なフィールド!」
「100時間遊べます!」

といった宣伝文句は、残念ながらプラスどころかマイナスに働いてしまっています。

もちろん、これはあくまで私個人の事情と感覚の話です。
自分の時間がたっぷりある学生さんや、1本のゲームをじっくり長く遊びたいタイプの人にとっては、いまだに「ボリューム=正義」だと思います。

ですが、日々の隙間時間をやりくりしながらゲーム時間をひねり出している立場からすると、「時間を溶かされる覚悟」を最初から求められるゲームよりも、短時間でもしっかり満足させてくれるゲームの方に、どうしても惹かれてしまうんですよね。

あすか

もちろん、大作からしか得られない感動があるのも理解していますが…。

最後に

これだけ言っておいて、結局ヨウテイもオクトラ0もいつかは遊ぶと思うんですよね。
なぜならゲーマーですから。

ただ、今の自分にとってはボリュームが大きい作品ほど、どうしても優先順位が後回しになってしまうというのが正直な現状です。

本来は「もし時間が無限にあるなら世の中のゲームの9割は遊んでみたい」と思っているぐらいなんですけどね…。

というわけで、コラムというよりはほとんど私の愚痴みたいになってしまいましたが…。

みなさんは、昨今のゲームのボリューム感についてどう感じているでしょうか。

  • ボリューム多いほど嬉しい派
  • ほどほどでいい派
  • もうちょっと短くしてくれ派

Xなりコメントなりで、ぜひ教えてもらえると嬉しいです。

あすか

ではまた。あすかでした。

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • はじめまして!コメントするのは今回が初ですがいつもブログ楽しく拝見させてもらっています。
    あすかさんが書かれているレビューを読んでから買ったゲームもいくつかあるくらいです。
    私も子供の頃からゲーム大好き人間で学校から帰宅しては即ゲームと向き合っていました。
    結婚して子供が出来てからはやはり子供中心の生活になってしまうため、ゲームが出来る時間も1日1~2時間ほどに減ってしまいました。
    何もしなくて良いなら私も1日中ゲームしてたいくらいです。

    あすかさんが書かれているように、最近はボリュームが少なくても心に刺さるゲームが多いなと私も感じています。
    ゲーム出来る時間が限られているからこそ、色々なゲームをやってみたいと思うのでやっぱりボリュームの多いものはプレイ避けがちになっています。
    ただ、子供の手がある程度離れるようになってからもっとじっくりプレイしたいと思っているので、ボリュームの多いゲームであってもとりあえずは買って置いてます。

    私はゲームはアクション性よりもシナリオ重視派なので、ボリュームよりもいかにシナリオが良いかでプレイするゲームを選んでる感じですね。

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