あすかこんにちは、あすかです!
今回はXで少し話題になっていた「ゲームにおける難易度選択の是非」について、自分なりの考えをまとめます。
このテーマ、前からなんとなく考えるところがあったので、ちょうどいい機会かなと。
あといつも予防線で言っていますが、個人の感想です。
私の意見を「正解」と言いたいわけでも、高難易度好きの代弁者としてクソデカ主語で語りたいわけでもありません。そこだけご了承ください。
難易度選択=制作者の怠慢?
まず、きっかけになったポストがこちら。
「難易度をユーザーが選択できるのはゲームバランスを満足に仕上げられないゲーム制作者の怠慢」という声をたまに見るんだけど、ゲームが娯楽作品である以上より多数の人が楽しめた方がよいのではないですかね?
— ずんこ。(jzunkodj4y) (@jzunkodj4y) January 10, 2026
ここから先に進む前に、まず前提を2つ。
・私は高難易度が好きで、難易度選択があるゲームは基本ハード寄りを選ぶタイプということ。
・ジャンルで話がズレるので、今回はRPGに絞って語ります(元ポストへの反応もRPG前提が多そうだったので)。
この前提を踏まえた上で、結論を先に言うと──
私は難易度選択については必要不可欠だと考えています。
理由はシンプル。万人に受け入れられる難易度設計など不可能だからです。
そのため、難易度選択=制作者の怠慢だとはまったく思いません。
では、難易度選択がゲームに必要不可欠なら、
「歯応えを求める人は勝手にハードを遊べばいいし、歯応えとかいらなくてストーリーを楽しみたい人はイージーを選べばいいよね。はい、解決。めでたしめでたし!」となってしまうのですが。
そこで終わらないのが今回の主題。
そんなことはみんな分かっているし、いちいち記事にするまでもありません。
でも、私が今回書きたいのはそこではなくて。
私がモヤるのは「難易度選択があること」そのものではなく、“ゲーム中にいつでも難易度を変更できる”仕様についてです。
この話題って定期的に目にしますが、議論のきっかけとなるゲームはだいたいそういうゲームなんですよね。歯応えを求める層から、話題作だけ遊ぶライト層まで幅広くプレイされるタイプで、途中でいつでも難易度を変えられるゲーム。
逆に、最初からハードコアを売りにしているゲームは高難易度前提ですし、子ども向けのゲームは易しめの設計が多いので、そういったゲームはそもそも議論になりにくい印象です。
では、私が何にモヤっているのかというと、 “途中でいつでも難易度を下げられる” という選択肢があること自体が、個人的にわりと厄介なんですよね。
なぜ厄介なのか。
まず、私みたいにゲームで高難易度を選びがちな人間の思考って、だいたい2軸あると思っていて。
それが「自己評価軸」と「他者評価軸」です。
オタクどういうことか詳しく解説していきましょう。
他者評価軸
まず分かりやすいのは他者評価軸。
これは要するに承認欲求です。
「俺はこんな難しい難易度をクリアできたんだぜ!」と、他人にすごいと思われたい気持ちです。
……改めて文字にすると普通に恥ずかしいんですけど、これは大なり小なり高難易度派の人にはあると思っています。(無かったら死ぬほど恥ずかしい)
難しいものを乗り越えて、「すげぇ」と言われたい、思われたい。
高難易度を好まない人でも、これはまあ想像はつきやすいのではないでしょうか。
で、これが「ゲーム中いつでも難易度変更可」になると、この承認欲求が地味に満たされなくなります。
なぜかというと、クリアしたときに、頭の片隅で「…これ、本当に最後までハードでやったと思われるかな?」と、自分が勝手に気にしてしまうからです。
思われてしまうではありません、“思われるかもしれないと思ってしまうから”です。
あすかここがもう、めんどくさいですね。
はい、分かってます。人は他人にそこまで興味ないし、他人のゲームのクリア報告に対して「こいつ途中で下げたのでは?」とか考えるほど暇じゃない。
言ってしまえば、ただの自意識過剰の被害妄想です。
でも、私はこのノイズがどうしても残っちゃうんですよね。
心の片隅でチクっとする程度ですが、ゼロにはなりません。
…と、こういう他者評価軸もあるんですが、これは正直おまけです。
本当に厄介で面倒なのは、次に話す「自己評価軸」の方で、ここからが本題。
自己評価軸
次に自己評価軸について。
こっちは高難易度好きの人にはたぶん共感してもらえると思います。
まず、ゲームとは必ずストレスがあって、それを解決したときに達成感や面白さを感じる──みたいな話、よくありますよね。私はまさにここが、ゲームの面白さの核だと思っていて。
ここで、私のXの相互フォロワーでゲームブログ仲間、隔離コさん(@insanity_log)の、個人的にすごい腹落ちした言葉を借りると、
「いつでも難易度を変えられるゲームは、エスカレーター付きの登山」という表現があります。(勝手に名前出してすみません)
あすかどういうことか。
高難易度に挑むプレイヤーを登山家だとすると、私みたいなタイプは困難であればあるほど燃えるんですよ。
で、登山(=高難易度プレイ)では、当然いろんな困難が待ち受けてますが、
たとえば難所にぶつかった(強敵に勝てない)とき、選択肢はいろいろあります。
・身体を鍛える(レベルを上げる)
・ペース配分を考える(戦略を練る)
・便利な道具を揃える(装備を整える)
など、この「どうやって困難を乗り越えるか」を試行錯誤してる時間こそが楽しくて仕方ない。
これが、高難易度のゲームを好む人の特徴のひとつだと思っています。
さて、ここで登山中に、ボタンがひとつあるとします。
このボタンは、押すと魔法のようにエスカレーターが出現して、苦労なく山道を登れる“魔法のボタン”です。
この魔法のボタンこそが、私にとっての「ゲーム中の難易度変更」であり、この選択肢が存在するだけで、私の場合は一気にやる気が萎みます。
あすか押さなきゃいいだけだろ?
違うんですよ!
「困ったら押せばいい」という選択肢が常に頭にチラつくせいで、困難にぶつかったときに、「エスカレーターに乗りまた都合のいいところから歩き始める」みたいなルートが頭の中に無意識に生まれてしまうのです。
ここが私みたいなゲーマーのめんどくさいところで、そういう選択肢が“存在すること自体”が、どうしても嫌なんですよ。
なぜなら、いつでも簡単に乗り越えられるのに、わざわざ身体を鍛えたり、戦略を練ったりする時間が、急にぜんぶ無駄に思えてきてしまうからです。
だって、あれこれ悩む前にボタン押せば、1秒で解決しちゃうわけで。
ここ、たまに勘違いされるんですが、
「自分が苦労してるのに、他の人が楽してるのが嫌」という話ではありません。
個人的にそれは的外れで、他人がどういう登り方(遊び方)をしてようが、好きにすればいいと思ってます。
そうではなくて、あくまで “自分が納得できない” という話です。
ではどうすればいいのか? 私がほしい仕組み
長くなりましたが、こんな感じで「ゲーム中いつでも難易度を変えられる仕様」は、自己評価軸・他者評価軸の両方において地味に問題が発生する、と私は考えています。
で、ここからが私の主張。
このモヤモヤを解決する(少なくとも私にとっては)仕組みって、実はすでに一部のゲームにはあります。
なので、今後のゲームは全部こうしてくれ…という願いも込めて改めて書きます。
仕組み1:一度難易度を下げたら戻せない
まず1つ目。
低難易度から高難易度はいつでもOKだが、高難易度から低難易度に下げたら、二度と戻せない仕様にする。これです。
一切の難易度変更不可にすると、「最初ノーマルで始めたけど、思ったより物足りないな」と感じる人も一定数いると思うので、途中で上げられる余地は残しておく必要があります。
あすかそもそも“そのゲームのノーマル難易度”がどの程度なのかは、やってみないとわかりませんからね。
ただ、一度でも難易度を下げた場合は、もう戻せないようにする。
そうするとどうなるかというと、少なくとも私の中では「難易度を下げる」という選択肢がほぼ消え去ります。
なぜか。
まず、難易度を下げた時点でクリアデータに“低難易度”の記録が残るから、他者評価軸(承認欲求)のほうが満たせなくなります。
そして自己評価軸のほうでも、そもそもあえて高難易度を遊んでいる時点で「歯応えが欲しい」という気持ちは間違いなくありますよね。
そこで登山の途中で「明らかに異常に強い敵」にぶつかったとして、
一時的に難易度を下げて突破する(=エスカレーターに乗る)ことはできるかもしれません。
でも、その瞬間にそのエスカレーターから「もう降りられなくなる」としたら──
この先の道で、本来味わえたかもしれない“手に汗握る強敵とのバトル”まで、まるごと消えてしまう可能性があります。
あすかそれは高難易度好きとしては本意ではありません…。
だからこそ「一度下げたら戻せない」という重みがあるだけで、安易な難易度変更は心理的に出来なくなります。
仕組み2:高難易度で完走した「証」
二つ目。
これはめちゃくちゃシンプルで、実装も難しくない。だからこそ個人的に、全ゲームに搭載してほしい機能です。
それは「最後まで高難易度でクリアした証」を与えること。いわゆるトロフィーや実績ですね。
これが一つあるだけで、今までグダグダ言ってた私のめんどくさい悩みが、自分でも不思議なくらい魔法みたいに消え去ります。
「最後まで心折れずに頑張りました」という分かりやすい証があるだけで、自己評価軸がきっちり満たされる。
さらに他者評価軸でも、Xとかでクリア報告するときの、分かりやすい証明になる。
ちなみに私は他者評価より、自己評価で満足できるかのほうが大切です。
ただ、仮にトロフィーを取ったとしても、次の日には忘れて別のゲームやってると思います。でも、それでも「ある」と「ない」では、個人的に天と地レベルで違うんですよね。
……と、ここまで書いてて今ふと思ったんですが、この仕組みで、もしかして不満が出るとしたら“トロコン界隈”かもしれません。ごめんなさい、私は実績コンプにまったく興味がないタイプなので、そこがどう見えるのかは正直未知です。
ただ、私が欲しいのは“トロフィーそのもの”というより、高難易度で最後までやり切ったことが分かる、たった一つの印なんですよね。
トロフィーでも実績でも、セーブデータにマークが付くでも何でもいい。
あすかとにかくナニか「完走の証」があるだけで、私のモヤモヤはだいぶ成仏されると思うのだ。
おわりに
だいぶダラダラ長くなったうえに、自分の思考の中身まで曝け出したようで普通に恥ずかしいんですが、以上が、私(いつでも難易度選択できるゲームをあまり好ましく思わないタイプ)の頭の中身でした。
もしこの記事を読んで、同じように高難易度が好きな人で「いや全然違うわ!」とか、「私はこう思ってる」みたいな意見があれば、ぜひどんどん聞かせてください。
逆に、これまで一度もそんなこと考えたことない人にも、「こういうめんどくさい思考回路の人間もいるんだなぁ…」くらいに認識してもらえたら、この記事を書いた甲斐があります。(理解してほしいとは思いません。そういう人もいるんだなぐらいで)
というわけで、着地点が分からなくなってきたので強引に終わります!
あすかではまた。あすかでした!


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